前回記事に関する雑談コラムです。
前回は「星占い」こと現代の占星術が、反転(革命)思想で歪められていることを明かしました。
太陽を自分自身と見る手法は、商業目的どころか政治目的であったという話です。
【前回記事】 太陽星座占いは「悪魔崇拝」発祥!? 太陽中心で占うべきではない真の理由
しかし上のような近現代占星術への疑念を書くと、筆者が「完全なる伝統原理主義」であると思われ、新規の手法を絶対否定する者だと決めつける方がいます。
でもそれは勘違いです。
繰り返しますが、私は占いは歴史学ではないし、政治思想であるべきでもないと考えている者。
したがって伝統原理主義・反伝統主義のどちらにも賛同できません。
伝統 VS 新手法 の二択に囚われる危険
筆者が伝統手法のほうに共鳴しがちなタイプであるのは、実際そのとおりです。
おそらく魂が近現代に生まれた過去生を持たない(古代人としての経験しかない)ので、 後世の商業化した手法になじめないだけだと思いますが。特に東洋占術では漢代以降の手法への拒絶感が強く、近代の四柱推命を苦手とします。
ただ西洋占星術は今世で中学生の頃から嗜んできたせいか、現代手法にもなじんでいるところがあります。
たとえばアスペクトやハウス計算などは現代手法を抵抗なく受け入れています。
ただパソコンで言えばOSに相当する基礎の部分でのみ、伝統でしか占うことができません(つまりアセンダントを本人と見る)。それは実占に照らし、伝統のほうが正しいと思うからです。
占星術という古代から伝えられた偉大な知恵において、基礎を変えてはならないのは当たり前のこと。
古代の技術には現代人が失った知恵が詰まっていると考えられるため、現代人の浅知恵でむやみに土台を改変すべきではないと思います。
ですが、もし新しく編み出された手法が実占に照らし的中率が高いと考えられるなら、基礎に重ねる形でマイナーチェンジしていくのは構わないでしょう。
たとえば近代に生まれた『サビアンシンボル』――霊能者が星座の度数ごとに得たイメージを詩文化したもの※――などは実占においてかなり有効だと感じたので、私は積極的に活用してきました。
※サビアンシンボルの提唱者たちも前記の神秘主義協会に関わる人たちなのですが、シンボルの内容は古代多神教と聖書が混ざったイメージで、革命の意図は低いと思います。もちろんキリスト教徒から見れば神秘主義というだけでアンチになるものの、我々部外者には関係のないこと。単なる神秘への興味で行われた研究なら、宗教外で真理を求める我々にとっては有用となります。
つまり「太陽を本人とする星座占い=善悪を反転させる呪符」のような、政治目的での意図的な歪みは受け入れるべきではない、と言っているだけ。
誰かがほんとうに純粋な研究者の気持ちで、的中率を高めるために考え出した手法なら追加して構わないはずです。
伝統回帰? ホールサインへのこだわりは、行き過ぎかも
ところが今、太陽中心主義とは逆行した流れで、極端な「伝統回帰」も流行していると聞きます。
典型的なのがホールサインハウスへの回帰でしょう。
ホールサインハウスは、古代の占星術師が用いたとされる計算手法です。
近代以降のホロスコープチャートではアセンダントそのものを起点としますが、こちらは生まれたときに東の地平線上にあったアセンダント星座(上昇宮)0度を起点とします。
ホールサインハウスのチャート例
こちらがアセンダントのホールサインで計算されたハウスです。
参考として、近現代で普及しているプラシーダスハウスはこちら。
〔どちらも例として今年一月一日のもの、Astrodienstにて作成〕
ご覧のとおり惑星の入る星座とその度数は変わりませんが、ホールサインでは起点がずれるために各ハウスに入る惑星が変わる場合が多くなります。
例では太陽、木星、天王星などのハウスが変わっていますので読み方は大きく変わりますね。
また、ASC/MC/IC/DSCといった各アングルはノードと同じように惑星扱いとなります。
10室の始まりがMC-天頂とはなりませんので、「10室は天職・使命のハウス」などという概念も変わるかもしれません。人によっては10室にMCが入らないこともあるため少々混乱を生む気がします。
さらに伝統手法にこだわるなら、アスペクトも無しで各惑星の高揚と減衰のみで占わなければなりません。
星座と惑星組み合わせからの詳細な分析、などということもすべきではなく、吉凶で読む未来予測を端的に示すだけで終えるべきでしょう。それが純粋な古代手法というもの。
ホールサインの個人的な印象
私は個人的には、ホールサインでは各ハウスの解釈が単純過ぎて現実の複雑さとは合わないと感じました。
自分自身をホールサインで読んだときも「しっくりこない」「違う」と感じる部分が多いというのが正直な感想。
【プライベート】 ホールサインハウスは当たりますか? 自分のネイタルで考察してみた
たとえるなら25年前のパソコンを久しぶりに起動してみたような印象ですね。基礎が同じパソコンではあるものの、やはり昔のものはシンプル過ぎて計算にズレがあるように感じます。
天文学も加味して進化してきた複雑なハウス計算は、政治思想だけではなく、やはり技術向上のための進化を求めた占星術師たちがいたおかげだなと実感しました。
でも人によっては「ホールサインがしっくり来る」 と感じる方もいるでしょう。現実にホールサインに即した運命を持って生まれて来られる方もいるはずです。
ハウス計算の合う・合わないは人それぞれ、実占によって選択すべきとしか言えません。
〔プライベート館の記事より「ホールサインが向くケース」を追加〕
シンプルなホールサインは若い人向きか
…この結論が得られたのはもしかしたら私の年齢のせいもあるかもしれません。
若い頃と違って、複雑な自分の性格や人生がよく見えるようになったからです。
若い頃なら「ホールサインこそ正解!」と思っていたかもしれませんね。
シンプルゆえに、大雑把に“当たりを付けやすい”。と言うことは初心者でも「当たる」という感覚が得られやすくなるわけです。
それに、若い人にとっては大雑把な地図こそ有用となることがあります。細かい道筋に縛られると動きづらくなることもある。だから歩き始めは細かく道が書き込まれた街路の地図よりも、ざっくりとした陸を描いたイメージ図のほうがいい。
そのようにホロスコープを見る第一歩として活用できる点が、ホールサインの利点と言えるでしょうか。
慣れてきたら精度の高い地図を見れば良いのです。
いずれにしろ私にはホールサインという手法を全否定するつもりはありませんので、ケースに応じて役立てていただきたいと思います。
「ホールサインは唯一正しい手法だ」などと他人に強要するのは違う、とだけ言っておきます。
手法は好みだが、政治思想で創作するのは誤り
そもそもハウス計算は絶対的なものではないため、「これが正解」という答えはないと言えます。
計算が現実天体と合っていれば正解なのではありませんし、伝統手法だから正解ということもありません。
ただ一つだけ言えることは、政治思想に基づく主義主張にこだわって真理を捻じ曲げてはいけないということです。
「善悪を反転し、好き放題に殺人を愉しめる世の中を造りたい」
「神の座を奪って宇宙の中心に居座りたい」
などの自己中心の欲を叶える我がままで、太陽を自分に見立てた呪符を掲げるのは誤りでしょう。
実占を無視した伝統回帰にこだわり過ぎる原理主義も同様です。
「当たっているかどうかなんて関係ない。占星学は高尚な学問なのだから…」
などと言い始めたら、あのソフィスト革命家たちと同じ政治思想屋となります。
実占に背を向けるのは、真理探究よりも思想で世界を創作することにしか興味がなくなった証。それこそ真理を求める学問からかけ離れていく態度なのではないでしょうか? 実験をしなくなった科学者と同じなのですから。
どんなジャンルであれ学問を名乗りたいのなら、真理に対してだけ誠実であっていただきたいものです。
(なお、占いにおける「真理」とは、科学者の実験と同じく実占の裏付けあっての理論のことだと私は考えます)
伝統 VS 新手法
の二元論に囚われる必要はありません。
立場にこだわるのではなく、真理だけに誠実になってください。
どんなジャンルでも極端な二択しかないと思い込み、原理主義に走る人があまりに多過ぎます。そのために人類はいつも破滅の袋小路へ追い詰められてきました。
常に中道、第三の道があることを忘れないようにしたいものです。